WB金融経済研究所


WB金融経済研究所 <活動報告012> PDF版(306KB)

令和2年12月25日

2020年日米政変についての感想


1. 米国大統領の交代
   事柄の順序からすれば、日本の政変の方を先に取り上げるべきと思うが、米大統領の方から始めることとする。
 まず、米国の大統領はまだトランプが悪あがきをしているが、バイデンで決まりと見てよかろう。
 ところで筆者は大昔の1981年に彼と会ったことがある。その頃山本正という方が「国際交流センター」を運営しており、その事業として毎年1回「日米若手政治家交流プログラム」による交流会を場所は日米交代で開いていた。筆者は80年に当選したので、直後にこれに参加させてもらい、ワシントンに出掛けて米側出席者の1人バイデン氏に会ったわけである。
 米側出席者は、ほかにも数人いたのになぜバイデンを覚えているかと言うと、交流センターの若い現地駐在員が「バイデンは、現在39歳ながら、将来必ず大統領の候補になるので、付き合っておいた方がよい。」と言われたからである。
 バイデンが当選した時、メディアが「日本にはバイデンにつながりのある人がいない。」と書いていた。しかし日本もチャンと人脈作りはしてあったのだが、日本の当時の若手(筆者も当時は45歳)も引退してしまったのだ。それ程にバイデンが大統領になるのが遅れた。もちろん彼が怠慢だったのではなく、彼の家族が次々に不幸に見舞われたのだから、むしろ、その粘り腰を賞讃すべきであろう。
 さて、バイデンの今日であるが、専ら「多様性(人種的)」を掲げての人事に取り組んでいるようである。この状況を見て2つのことを思うのである。
 1つは、「ケネディの1,000日」を読んだ筆者からすると、多様性にこだわり過ぎて、現在の米国のベスト アンド ブライテストの人材を選べるかに不安を感じるのである。外交はバイデン自身が仕切る自信をもっているとされるが、トランプが中東を掻回し、中国の台頭が著しいだけに、バイデン本人が自分の能力にこだわり過ぎるのはどうであろうか。
 2つは、そうはいうものの、トランプ前大統領の就任直後は、思い付き人事ばかりで、重要ポストでも長い間空席のまま放って置かれたことを考えれば、大いにマシだとは言えよう。

2. 日本の首相交代
   これについては現下の政策課題への取り組みへの評価だけを述べることとする。

(イ) 最初の問題は、コロナ対策であるが、次第に感染が広がるばかりで、国民は不安が募る一方になっている。
 ここで指摘したいことは、なぜ初期段階で成功したクラスター追及方式を継続しなかったかである。厚生労働省本省内にクラスター対策班を組織し、発生地の保健所に派遣し、保健所の協力を得て、発生源を突き止めていた。その努力を重ねていれば、日本人の遵法マインドの高い国民性もプラスして必ず、初期同様の成果が上がったのではなかろうか。感染を一定程度許容し、経済社会活動とバランスさせるなどの大数観察的コントロールがうまくいくはずがないと思うが、どうであろうか。
 このうえは一回ロックダウンを掛け、一旦沈静化させた上で再びクラスター追及作戦に戻る方式を考えるべきと思うのである。
 また上記に加え、感染症対策についての司令塔が、中央政府なのか地方自治体なのか明らかでないことが、国民にとっての不安の原因になっている。これは旧内務省の行政について、地方自治尊重との関係が明快に解決されてないことが原因であるが、パンデミックについては、一刻も早く中央の指示権限を明確にすべきである。

(ロ) 次は、学術会議の会員候補6人の任命拒否問題である。
最初に彼が使った「総合的、俯瞰的観点」が、学会推せん方式を今の個人推せんに改めたときに使った言葉の再使用で、まったくの誤りであったこと、6人の名簿を見たこともなかったこと、杉田副長官への丸投げ人事であったことが露呈してしまったなど、総理としてあるまじき失態であった。そのうえに、辻褄合わせで「大学の偏り(東大偏重)を排し、民間の研究者も入れる」などの改善を図りたいなどと言って、学術の世界にまでポピュリズムを入れ込むなどは血迷いごととしか言えないと思う。
この問題では誤ちを誤ちとして覆水を元の盆に戻すしかないと考える。

(ハ)3つ目は「デジタル庁」問題である。
 そもそも日本のDXの立ち遅れは菅総理が総務大臣の時に気がついて、総理になって持ち出したものである。こんな重要事案を提起したのは自分だと誇っているように見えるが、筆者に言わせれば、そんなことを言っていたら今度も失敗の危険があると指摘しておきたいのである。
 元来この問題は、橋本行革(1996年だ!!)の時、筆者らが(当時でも)DX先進国に追いつくには通産省の情報行政と郵政省の通信行政を統合して新たな「情報・通信庁」を作る以外にないと主張したのだ。それが両省の反対でつぶれ、旧郵政(即ち通信行政)が総務省と統合されただけでお茶を濁されて終ってしまった。
 今回は「デジタル庁」を作るというが、旧通産と旧郵政の情報通信に対する権限は、昔のまま残しているのではないかと心配である。これらの権限を両省から完全に切り離し、新規のデジタル庁にその権限及びその分野に詳しい専門家職員をno - return原則のもとに転籍させ、彼らに真剣に取り組ませなければ元の木阿弥になると心配するのである。
(了)


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